思索

納得がいくかどうかその(1)

ネットでツイッターやブログを見ていると、建設的とは思えないやり取りはよく見られますよね。炎上する話題にはある種の傾向があり、炎上しやすい言葉遣いも何かパターンがあるように感じられます。

意見されて黙っていられないということになるとやり返したくなるわけですが、やり取りに参加している人たちの普段の暮らしに直接関係ある話題、個人を特定されそうなほど近い事柄についてはネットでは普通やりませんよね。また自分とほとんど関係ない分野についても、よく知らないわけですし利害がないので「そうなんだ」という感じであっさりとしたやり取りにしかなりません。いろいろな次元でもって炎上するやり取りが持っている要素の一つにおれ様ルールがあるように感じます。

フィリップ・K・ディックのSF小説の中で、ある星の植民基地の住人が、新しく住人となる主人公を迎え入れるにあたって、閉ざされた施設内で共同生活をするには主義主張はあってはならないんだと発言する場面があります。人はまだまだ地球という閉ざされたところに暮らすので原理的にはこのことは普段の暮らしにも当てはまると、僕は思うわけです。ところがネットは参加をやめることが可能です。参加者を常時ネットにつなぎ止めておくことはできませんから。逃げられるからおれ様ルールを押し通してみようとできるわけなのかなと、思います。

このように書くと「おれ様ルールを押し通そうとするってほんと始末に負えんよなあ」などと思うかもしれませんが、おれ様ルールを擦り合せてマジョリティが各々に内在化したものが規範なので(だと僕は思う)、おれ様ルールを表明し合うこと自体はやめるわけにはいかないと思います。規範はお互い利害があるから作られるものであり、お互い必要なものです。言い争いが手を替え品を替えあちこちで繰り返されるのは、規範は常に擦り合わされなければならないものだからなのでしょう。問題は、「どのように」表明し合うかではないでしょうか。

話し合いは喧嘩にならないように進めたいですよね。お互い冷静でいられるための話し方の種類の一つに「アイ・メッセージ」というのがあります。対義語としては「ユー・メッセージ」があってこれは「おまえが〜だから〜」といった文体になるものなのでその逆、「私は〜だと感じた」のような言い回しにするといいというお話です。どこかで聞いたことのある方も多いと思います。おれ様ルールを押し付けるような感じになっているときは、お互いがそのルールが「私」から離れて真理として存在するかのような言い回しをしていることが多いです。

はじめはとても難しいです。うっかりこれこれはこうだろ、とぶっつけてしまうことがあります。そんなときは、後づけでもいいので、「〜と思うよ。僕はね」と言うよう気をつけています。つづく。