思索

進化したのです!?

これから書くお話は確か大学受験向けの練習問題になっていた随想にも載っていたかという話です。うろ覚えですが。概念としては普遍的なので著作権の心配は恐らくないと思いながら…。

例えば「キリンの首は、高いところの木の葉っぱも食べることができるように進化しました」といった文章を見聞きすることは珍しくないですよね。この言い回しは、気分的にはとてもわかりやすいのですが、全くの誤りです。この言い回しだとキリンが自発的に「首を長くすれば高いところの葉っぱも食べられるじゃん」とか考えながら伸ばしてきたみたいに読めます。いやもちろんそう考えていないことを証明することはできませんよ。

そこではなくて、進化論というのは、「〜のために進化しました」というロジックは持っていないのです。進化論の屋台骨は自然淘汰と適者生存なので、これこれの形質を持つ種が生存に利を得て子孫を手堅く残した、という言い回しになるはずのものだからです。まあ、「進化」というなにかポジティブな心意気を感じさせる語句が含まれているところからもう何か間違っているかもしれません。Wikipediaの進化論のページにもあるように進化論で言っている「進化」はただの「変化」のことなのにということです。

進化論はそのような話しかしていないのに、どうして「〜のために進化しました」と言ってしまうのか、受け取る方も異議申し立てしないのか、という話がしたいのです。否。そこが気になる僕と、特に違和感を感じない人とでは何がどう違うのか、という話をしたいのです。

マジョリティは恐らく「そんな細かい話…」と感じるでしょう。「まあ確かにほんとはそうじゃないんだけどいちいち取り沙汰しなくても…」と心に思うだけの人もマジョリティに加えていいでしょう。「そうそう、そういうの、気になる」と思った方、マイノリティです。気をつけてください(笑)。ごめんなさい冗談です。でも本音を言うとこのような感じ方の違いもマイノリティの生き辛さの発端の一つなのだろうなと思う、という話でした。